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エノキ 榎 ニレ科エノキ属 (新しい分類体系APGVではアサ科とされる) 学名:Celtis sinensis 別名:エ、ヨノキ |
属名のCeltisは、甘い実がなるの意。種小名のsinensisは中国のを意味する。 エノキはわが国では漢字で榎と表すが、中国ではエノキは朴樹と表すという。中国では榎と書けば、エノキとは全く別の樹のことであるそうだ。 有名な国蝶オオムラサキの食樹で、この蝶を保護するためにエノキを人の手で植えているところもある。オオムラサキのほかにゴマダラチョウ、テングチョウもエノキを食樹としている。 わが国では古い時代からひとびとに親しまれた樹で、万葉集にも詠われ、「榎(読みはエ)」と詠まれる樹がエノキとされる。 「わが門の榎の実もり喫む百千鳥 千鳥は来れど君ぞ来まさぬ」(16ー3872) 上の歌にもあるように果実は小さいが甘いので鳥がよく食べ、糞とともに排出された種子が発芽して思わぬところにエノキの幼木を見ることがある。市街地の舗道緑地でもよく見るし、時には民家の鉢植えからエノキがひとりでに育ってくることがある。大きくなる樹種であるから育って困る場所で見つけたらごく小さいうちに引き抜いておかないと、あとで手に負えなくなったという話は珍しくない。 鳥だけでなく人もこの甘い果実を食べ、菓子の乏しい時代のこどもたちはこれをヨノミと呼びよく食べたというが、現在では見向きもされないであろう。私も口に入れてみたことはあるが、甘さはあるものの果肉が少ないので個人的にはムクノキの実のほうが美味しいという印象だ。 このエノキの果実について、長塚節著「開業醫」1909 に当時のこどもたちがエノキの実を好んで食べていたことが書かれている。ただし、ここに描かれているエノキの実は黒く熟すとあるからエゾエノキのようである。 また北京原人の骨が発掘された中国周口店の遺跡からエノキの果実の遺物が発見されており、北京原人がこれを食用にしていたとも考えられている。 江戸時代初期に幕府が街道を整備する際、一里塚に植えられることが多かったので現存しているものは巨樹として保存されているものもある。それ以前にはサエノキとして道祖神、庚申塚との結びつきが深かったという。 中世には木陰をつくるためと馬の鞍用の材とするために城内に植えられたというから、再建の岸和田城本丸にエノキが植えられたのもその伝統に倣ったものかもしれない。 材は、木目がケヤキに似るのでケヤキ材に疑して家具、器具などに利用するという。昔から人に身近な樹であるから生活に利用されることが多く、民間薬、入浴料、果実酒などにされたという。また若葉は食用にもしたという。 岸和田市では丘陵、山地、市街地では公園、空き地、道路の路側帯などでふつうに見る。鳥が果実を食べて種子を散布するので、民家の庭や空き地、路側帯などに芽生えた幼木を見ることが多い。 雌雄同株。 |
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開業醫 三 長塚節著 「開業醫」 1909 |
此のすぐ裏の竹藪の先は寺の境内で大きな榎の木が一本ある。枝が横に出て居て登りいゝので其の實が黒くなると小學校の生徒がつけこんだ。榎の實は旨いので砂糖の實といつて居た。學校の歸りには屹度荷物を脊負つた儘登つては枝と枝とを渡つて歩いた。砂糖の實には椋鳥が群集して騷ぐのであつた。然し學校の放課後といふと何時も椋鳥は遠い空へ遁げて移るのであつた。僕も毎日行つた。然しこつそりと行つた。落ちたら危險だからといふので母が叱るからであつた。桑の實であると口が染つてなかなか落ちないが砂糖の實では其時捉まらなければ分らぬので腹一杯たべては平氣な顏で家へ歸るのであつた。さうすると何時か母が寺男へ頼んで置いたと見えて寺男が庭でも掃いて居るとすぐに追出される。居なければ登つてたべた。それを或時荷物は背負つて居たから取られなかつたがうつかり下駄を持つて行かれた。非常に驚いて謝罪つたが聽かない。僕は到頭泣き出してしまつた。さうしたら寺男は笑ひながら下駄を出して僕の身體を左の手で抱いて僕の足を盥へ入れて洗つてくれた。 |
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樹形 落葉高木。 |
高さ20m、直径1mになる。大きな樹冠をつくる。 |
夏の樹形 流木町で 2007.8月 |
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冬の樹形 (上の写真の木) 流木町で 2006.1月 |
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秋の樹形 三ヶ山町 とんぼ池公園で 2007.8月 |
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冬の樹冠 宮本町で 2007.12月 |
枝葉 流木公園墓地で 2009.5月 |
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新枝の葉 流木公園墓地で 2009.5月 |
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公園の植えこみに自生してきた幼木 地蔵浜町 浜工業公園で 2008.7月 |
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幼木の枝葉 枝も葉も2列に互生する 地蔵浜町 浜工業公園で 2009.8月 |
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枝がジグザグに伸びた幼木 地蔵浜町 浜工業公園で 2009.8月 |
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2年生の幼木 地蔵浜町 浜工業公園で 2010.9月 |
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環境 山野、公園。果実が鳥に食べられることで 種子が運ばれ市街地でも自生する。 |
花 雌雄同株。 花期:4〜5月 |
両性花と雄花がある。両性花は新枝の上部につく。 新枝の下部に雄花だけが集まってつく。雄しべは4本。 |
満開の花 この樹は葉の展開より前に開花していた 浜工業公園で 2007.4月 |
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雌しべのさきの柱頭は2裂し白い毛が密生する 4月はじめ |
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新枝の下部に雄花だけが集まってつく 雄しべは4本 4月はじめ |
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葉 互生。 |
葉身の長さは約4〜10cmで、ゆがんだ広楕円形。質は厚く、両面ともざらつく。先は鋭くとがり、基部は左右で不相称。3行脈が目立つ。側脈はふちの手前で曲がり鋸歯に達しない。鋸歯は多いもので上部3分の2にあるものから、少ないものではほとんど全縁のものまで変化がある。托葉は線形で、早期に落ちる。 |
左ー表 右ー裏 右の葉は左右が著しく不対象 |
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葉の表 熊取町の山地で 2009.10月 |
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葉の表 葉の下部まで鋸歯がある 地蔵浜町 浜工業公園で 2010.8月 |
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葉の裏 地蔵浜町 浜工業公園で 2010.8月 |
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この新葉は先が鋭く伸びる 線形の托葉がみえる 河合町の山地で 2008.5月 |
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葉柄と裏面脈上の毛 熊取町の山地で 2009.10月 |
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裏面の脈腋に毛叢がある 熊取町の山地で 2009.10月 |
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鋸歯 地蔵浜町 浜工業公園で 2008.6月 |
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鋸歯の変異 |
標準的な葉 ふつうは上部の3分の1に鋸歯がある |
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この葉は基部近くまで鋸歯がある | ||
鋸歯がほとんどなく全縁といってもよい葉 | ||
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葉の形の変化 |
葉の形は広楕円形がふつうだが、円形に近いものから、右の葉のように幅がせまいものまで変化がある | ||
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葉によるエノキとムクノキとの区別 |
エノキ 側脈の先はふちの手前でまるくなる 鋸歯の先はにぶい さわるとすこしだけざらつく |
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ムクノキ 側脈の先は鋸歯に達する 鋸歯の先は鋭い さわると非常にざらつく(昔はやすりに使ったほど) |
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果実 核果。 |
直径約6mmの球形で、秋に赤褐色に熟す。 熟した果肉は甘く、食べられる。 |
若い果実 5月 |
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若い果実 7月 |
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熟してきた 9月下旬 |
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9月下旬 |
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9月下旬 | ||
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核 |
核 |
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核の表面には網状の 隆起した模様がある |
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樹皮 灰色〜灰黒色でなめらか。 |
若い木の樹皮 皮目が目立つ | ||
直径15cmの樹皮 | 成木の樹皮 | |
色白の樹皮 | 荒れた感じがする樹皮 | |
幹の断面 色は白っぽい 左の小さいほうの直径は40cmほど 愛知県岡崎市で 2009.4月 |
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冬芽 小さい円錐形。 |
冬芽 2月 |
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展開が始まった冬芽 港緑町で 2013.4月 |
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葉痕 2月 |
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同属の仲間の樹木 エゾエノキ コバノチョウセンエノキ |
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